【感想】SF小説の名作『幼年期の終わり』が予想する人類の未来とは?

映画史の中で、SF大作として有名な『2001年宇宙の旅』

そしてSF史上の傑作として愛読されているのがこの『幼年期の終わり』です。

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1953年に書かれたSF小説ではありますが、今後の人間がどうなっていくのか、まるで知っているかのような物語でした。

この記事では『幼年期の終わり』が暗示している実現しそうな未来の人間について考察していこうと思います。

さあ、未来を見に行こう!

『幼年期の終わり』の簡単なあらすじ

地球上空に、突如として現れた巨大な宇宙船。オーヴァーロード(最高君主) と呼ばれる異星人は姿を見せることなく人類を統治し、平和で理想的な社会をもたらした。彼らの真の目的とはなにか? 異星人との遭遇によって新たな道を歩み始める人類の姿を哲学的に描いた傑作SF

簡単にいうと、突然オーヴァーロードと呼ばれている宇宙人が到来し、地球を統治する話です。ただ武力的な統治ではなく、豊かで平和な時代に突入していきます。

大体のSFは、宇宙人が侵略してきた戦う話や惑星間での戦争がメインテーマなので、平和な統治というのは意外でした。

平和な世界は理性の時代

 人類は、空に雲一つない長い夏の午後にも似た平和と繁栄を享受していた。いつかまた冬が巡り来ることはあるのだろうか。いまはとても想像できない。11世紀半前にフランス革命の指導者たちが早まってその到来を歓迎した理性の時代が、今度こそ本当に訪れていた。
もちろん、好ましくない点も多々あったが、それもとくに反発なく受け入れられてた。たとえば、各家庭でテレキャスターが印刷する新聞がおもしろくないことは、よほどの高齢者でなければ気づかないだろう。かつて第一面全段抜きの大見出しで報じられたような紛争は地球上のどこでも起きていなかった。警察が頭を抱え、人々の胸には義憤(しばしば抑圧された妬みが姿を変えたものだった)をかきたてるような謎めいた殺人事件もない。たほに発生したとしても、解き明かすべき謎などそもそもなかった。ダイヤルを回せば犯行シーンがそのまま再現されるのだから。そのような芸当を可能にする装置の登場は、法律を守って暮らす善良な市民の間に相当なパニックを引き起こした。

確かに、生活や娯楽、何事においても不満がないという状況では、大きな事件も起こりえにくいです。

事件が減るのはもちろんですが、ずっと監視されている気がして、少し奇妙にも感じますね。

人間とロボットの共存で労働時間が極端に減る。

 週当たりの平均労働時間はわずか二十時間だった。とはいえ、その二十時間は決して楽なものではなかった。ルーティンワークというものは存在しなくなっていた。人間の頭脳は、数千個のトランジスターと数個の光電池、一平方メートルのプリント配線回路にまかせておけるような仕事に費やすにはもったいないとされた。何週間もずっと人間が一人も訪れないまま稼働を続けている工場も珍しくない。人間の役割はトラブル対策や意思決定、新たな事業の立案だった。それ以外はすべてロボットがこなした。
百年前なら、余暇がありすぎて大きな社会問題になっていたことだろう。教育がその問題のほとんどを解決していた。豊富な知識は退屈から身を守る盾になるからだ。大衆の文化水準も過去の基準から言えば桁外れに高くなっている。人類の知性が向上したという証拠があるわけではなかったが、史上初めて、持てる知的能力を発揮する充分な機会が全人類に平等に与えられる時代が到来していた。

これはそう遠くない未来の話のように感じました。

特に人間の役割はトラブル対策や意思決定、新たな事業の立案とありますが、リアルですね。

ロボットは大多数から傾向を読み取るのは得意ですが、それ以外はあまり得意でないというのを聞いたことがあるので余計にありえる話だなと思います。

また、知識レベルも大きく向上し、機会の平等が達成されています。

危険を冒すことがある意味ゲームになる。

 多くの人々が世界の遠く離れた場所に二軒の家を所有していた。極地方の開発が進み、夜のない長い夏を追って半年ごとに北極と南極を行ったり来たりしている人々も少なくない。沙漠を選ぶ者、山や海底を選ぶ者もいた。どうしてもそこで暮らしたいという強い気持ちがあれば、地球上のどんな場所であれ、科学とテクノロジーを駆使して快適な住環境を作り出すことができた。風変わりな場所に建つ家は新聞に取り上げられ、退屈な紙面の数少ない刺激的な記事になった。完全な秩序が実現した世界であっても、事故はなくならない。人々が命がの危険を冒し、ときには実際に命を落としてまでも、エベレスト山頂にちょこんと座るこぢんまりとした山荘やヴィクトリア瀑布の水煙を通して外を見られるコテージで暮らしたいと考えるようになったのは、危険を冒すことに価値があると思っていたよい証拠と言えるだろう。その結果、いつもどこかで誰かが救助されていた。それは1種のゲーム世界的娯楽になっていた。
そういった気まぐれを満足させることができたのは、誰の手にも時間と金があったからだ。軍隊が全廃されると世界の実質資産はたちまち倍になり、生産量の増大がさらにそれを押し上げた。その結果、二十一世紀の人類の生活水準は、前の世代のそれとは比べようもないほど向上した。物価は下落し、かつて自治体の公共サービスと言えば道路や上下水道、街灯の設備などだったが、いまでは生活必需品まで無料で配付するようになっている。誰もが好きなところに行けたし、どんな食べ物も味わうことができたーしかも、1銭も支払うことなく。地域社会への貢献と引き換えに、誰にでもその権利が与えられるのだ。

プロスポーツ選手の絶滅

計算上では、いまや人類の行動の総計の四分の一近くがさまざまな娯楽に充てられていた。チェスのように座ってするものから、山から谷底へスキーで下りるようなものまでこのことは予想外の結果を生んだ。その一つは、プロスポーツ選手の絶滅だ。アマチュア選手の技術レベルが向上し、さらに経済環境が激変したために、旧式のシステムは廃れたのだ。

これは現在進行形で、スポーツではないですが他の分野で起こっていることだと思います。Youtubeから超有名人になったり、SNSを通して大きな影響力を持つこともできます。

確かに機会も平等が達成させることで、プロスポーツ選手はいなくなりそうです。

エンターテインメントの隆盛

 スポーツに次ぐ隆盛を誇る娯楽産業は、各種エンターテインメントだった。百年以上の昔から、ハリウッドこそ世界の中心であると信じる人々は存在した。いまやその信念はかつてないほど説得力を持っていた。とはいえ、酉暦二〇五〇年の映画の大部分は高尚すぎて、一九五年代の人々にはとても理解できないことだろう。また別の進歩もあった。興行成績がすべてという時代は終わっていた。
一つの広大な遊び場と化しつつある惑星でありとあらゆる娯楽に包囲されていても、ふとした瞬間、太古の昔から繰り返されてきたものの、いまだ答えが得られたことのない質問を自分の胸に問うものも一部にはいた。“人類はこれからどこへ向かうのか

AIの時代では芸術が価値を持つと予想している人がいます。

というより、生活が安定する以上、娯楽が必要になるのは間違いないですね。

生活基盤はロボットに任せ、人間はエンターテインメントで楽しむ。そんな未来が見えそうです。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

幼年期の終わりは、今から60年以上も前に出版された小説ですが、人類の未来を予測しているような文章が多く出てきます。

AIが人間の知能を超えるシンギュラリティが起こるのが、2045年。まさに幼年期の終わりの舞台となっている年代です。

その時私たち人類はどうなっているのでしょうか?プロスポーツ選手はいるのか?エンターテインメントが隆盛しているのか?

頑張って生きてその結末を自分の目で見ようと思います!